2009-11-10
上村 彦之丞
上村 彦之丞(うえむら ひこのじょう)

 

NHKのスペシャルドラマで司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」がもうすぐ始まります。司馬遼太郎が生前、映像にしていけないと言っていた大作がいよいよ三年間のロケを経て文字通りNHKの威信をかけてドラマ化されますが、私はとても楽しみにしています。

 

時代背景は、明治時代でクライマックスはあの日本の存亡をかけた日露戦争が描かれるそうですが、その中でも描かれる日本海海戦では、東郷平八郎連合艦隊司令長官が有名です。その日本海海戦を勝利に導いた真の人物は、あまり歴史の表舞台に出てきません・・・圧倒的なロシアのバルチック艦隊数に対して、劣勢な日本海軍が奇跡的な勝利が収められた立役者こそ上村 彦之丞中将、後に海軍大将にまでなった人物です。

 

上村 彦之丞は、1846年6月20日鹿児島県に生まれ、あだ名を「船乗り将軍」と呼ばれました。上村が幼い頃、父の藤一は友人を救うために財産を使い果たしてしまった。そのため上村は幼少期から苦しい生活を強いられていた。敵艦隊を破るまでの我慢強さはこの頃に培われました。

 

秋津州艦長として日清戦争の黄海海戦に従軍した際、敵の砲弾が雨のように飛んでくる中、威風堂々と露天艦橋に立ち、水兵たちが思わず頭を下げる様子を見た上村は「敵に礼をするのは卑怯だ!」と激をとばして敵砲弾に臆することなく指揮をとる豪傑でした。

 

日露戦争開戦当初、第二艦隊で旗艦出雲以下4隻の装甲巡洋艦で編成された司令官として補給航路防衛の任に当たっていたが、日本海特有の濃霧やウラジオストク艦隊側の神出鬼没な攻撃に苦しめられ、常陸丸、佐渡丸が相次いで撃沈されると、防衛責任者として糾弾されました。


議会では野党代議士から「濃霧濃霧と弁解しているが、濃霧(のうむ)は逆さに読むと無能(むのう)なり、上村は無能である」と批判され、民衆からは露探(ロシアのスパイ)提督と誹謗中傷されたうえ自宅に投石されたりした。この事に部下たちが憤慨すると、上村は「家の女房は度胸が据わっているから大丈夫」と笑って取り合わず、批判や中傷にじっと耐えました。


蔚山沖海戦において、ウラジオストク艦隊攻撃時、敵艦撃滅まであと一歩と云う所まで追い詰めながら「我レ、残存弾数ナシ」と書かれた伝言用黒板を部下から手渡された際、それを叩きつけ、悔しそうに踏みつけた逸話は有名です。


また大破しながらも未だ戦闘意識を失わず、半沈しながらも砲撃を繰り返していた巡洋艦リューリックの姿を見て「敵ながら天晴れな者である。生存者は全員救助し丁重に扱う様に」と命令して武士道を貫きました。


日本海海戦において、バルチック艦隊は一路ウラジオストック港を目指して総勢50隻で、海戦海域に突入する前に速力の遅い輸送艦を切り離し、38隻の戦闘艦が二列縦陣で対馬水道に進入。それに対して連合艦隊は、第一・第二・第三艦隊に分かれてこれに立ち向い東郷連合艦隊司令長官が指揮をとる第一艦隊の旗艦戦艦三笠を先頭に艦隊を組み、敵の針路を塞ぎ英語のT文字を描くように敵に対して船の横腹を向ける決死の戦法で果敢に挑みましたが・・・


バルチック艦隊の先頭で旗艦の「スワロフ」に座乗して艦橋からこの光景を見ていたロジェントウェンスキー司令官は、東條は血迷ったと感じました。縦長の船を横に向ければ的が大きくなり攻撃し易くなるからです。しかし逆に大砲は前後と側面が使用でき、まさに「肉を切らして骨を立つ」決死の戦法でした。しかしバルチック艦隊は、一路ウラジオスットク港に逃げ込む為、戦艦「スワロフ」先頭艦から急転回しこれをかわしました。


判断を誤った東郷司令官・・・これを命令違反覚悟で、第二艦隊上村司令官は東條司令官の指揮する第一艦隊に追従せず、的確な判断から、自ら率いる巡洋艦中心の劣勢な第二艦隊単独で勇猛果敢に追撃し、至近距離からバルチック艦隊を攻撃しました。


このことが、日本海海戦の勝利を確定させました。その結果、敵側のロシア海軍将校から、「日本海軍の上村司令官が指揮する第二艦隊の艦隊運動はまさに神のごとくであった」と賞賛されたのでした。

しかし上村は自分だけの手柄にはせず薩摩武士らしく寡黙、情に厚く非常に部下想いな行動を貫きました。

 

上村 彦之丞を想うとき守口門真JCの野口理事長が心にうかびます。

 

初めてお会いした時は、去年の8月まだ総会前の予定者理事長内定者のときでした。次年度の大阪ブロック役員のことを話し合う重々しい会議の席上、予定者理事長内定者の先頭切ってご発言され、まさに飛んでくる言葉の砲弾をものともせず威風堂々ご発言され、その後に続く予定者理事長内定者の発言に大きな影響を与えました。

 

守口門真JCからご出向されていた北河内担当のブロック役員の方が、どうしても避けられない事情で、志半ばで休会となった際、会議の席上で休会されたメンバーを慈しみながら出向者輩出ロムとして、大阪ブッロクの責務を守口門真JC理事長としてできることは、全うすると発言され、激務に臆することなく実行される姿はまさに武士道そのものでした。

 

懇親会では、会議の席では想像も出来ないほど気さくで、楽しい人物で周囲への配慮、気遣いは北河内地域トップレベル。とても優しい野口理事長です。

 

次年度北河内地域の大阪ブロック役員を決める10時間を越える話合いの際、ご自分が最終年度であり物理的にどうすることもできないことを苦やしがる姿は、上村司令官が「我レ、残存弾数ナシ」と書かれた伝言用黒板を部下から手渡された際、それを叩きつけ、悔しそうに踏みつけた逸話のようでした。

 

北河内地域・守口門真JC発展に寄与され、いつも守口門真JCロムメンバーのことを第一に考えておられます。

 

私の近所にある守口門真JC小川先輩のお店では、いつも野口理事長談義に花が咲いています。

 

沢山のことを学ばせて頂き、多くの影響を私自身が受けた「決意・宣言・実行」を貫徹された守口門真JCの「船乗り将軍」野口理事長と出会えて本当に幸せです。
Written by 理事長(2009年度佐々田理事長) | コメント(0 )

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